薄雲の広がる儚い白

 

駅のホームに立つ

ひとが流れる

一車両見送って、次の車両に乗る

そのまま私が運ばれていく

距離とともに時間も流れる

 

 

正月休みが明けて日常が戻ってきている。暖冬らしく暖かい日々が続く。それでも陽が落ちると空気は鋭さを持って、そうだ冬なのだと思い知る。あらゆることへの態度が雑だ。ただ、日々を愛していたいだけなのにな。

年明けらしい透き通った水色

 

愛を受け取るのは難しいなと、この時期によく思う。お正月はほぼ毎年2日に実家へ挨拶に行く。親戚の子どもたちと遊んで、高齢になった親と雑談をして、穏やかな生活を願う。1泊ないし日帰りで自分のマンションへ戻る。一人暮らしのワンルームの部屋で一息をつく。

愛されていることがわかる。親からも、姉からも、姪や甥からも。喜ばしいことで、暖かい気持ちになるのだけれど、うっすらとした息苦しさがまとわりついて、そのことに罪悪感を覚える。

「心配なの、いつでも頼ってね」その言葉をありがたいと思いつつ、きっと本当の意味で頼ることはしないのだろうなとわかる。今回の帰省のように世話をやいてもらうことは罪悪感を減らす行為だったりする。だから帰省した時の私は家事もなにもやらない。

価値観が違いすぎるから。私は私の自由が欲しくて、ほんの少しの演技をまとって愛を受け取っている。拒みたくないし、気にかけてくれるのはありがたいことだ。恵まれている。けれど、漂白されたような価値基準が自分の肌感覚にまったく合わなくて、ざらざらした感触だけが残ってしまう。

正しさがずっと苦手。否定できないものだから。どうしたって正しくて、でも私には居心地が少し悪い。正しくないことをしたいわけじゃないけれど、折り目正しい世界は、自分には少し息苦しい。

綺麗な愛情を受け取るのが下手だなと、毎年思ってしまう。歪んだ愛情が欲しいな。屈折した愛情が。そしたら安心して甘えられるのに。